昨年12月26日~29日の2泊3日で、奈良と京都へ家族旅行をしました。
春の桜や秋の紅葉の時期に行きたいけれど、冬の奈良も静かで良かったです。
普段は東北新幹線しか乗らないので、東海道新幹線で富士山が見えた時には人目もはばからず写真を撮ってしまいました。
朝早くから新幹線を乗り継ぎ、西ノ京に着いたのはお昼でした。
まずは、薬師寺。ほとんど貸切状態。
薬師寺は、680年に創建されましたが、何度も火災にあい、この西塔は昭和56年(1981年)に白鳳時代の創建当時の姿に復元されたものです。
六重に見えるけれど、各層に裳階(もこし)をもつ三重塔です。
すごく近くから見上げるので、大きく見えました。
金堂も昭和51年(1976年)に復元されたものです。
東塔は、2020年まで、解体修理中。
国宝で、唯一創建時代から残るもので、これが一番見たかったので残念です。
西塔と東塔が並ぶ姿を見たいので、また必ず行きたいと思っています。
創建当時に復元されたとはいえ、朱塗りの建物より、古くても歴史を感じられる姿の方が私は好きです。
西ノ京のもう一つの世界遺産である唐招提寺へ。
759年に鑑真和上が創建した私寺で、
金堂は創建当時から残る建物で国宝です。平成21年(2009年)に大修理が行われました。
金堂の8本の柱の間隔がこの建物を美しく見せています。
唐招提寺には国宝の建物が多く、講堂は平城京の面影を伝える現存唯一の建物です。
宝蔵と経堂も国宝で、正倉院正倉より古い日本最古の校倉造りの建物です。
奈良時代の木造の建物が1300年後の現代で見ることができる奇跡に感動します。
西ノ京から移動して、東大寺に行きました。
ほとんどの人が行かないだろう転害門から入ります。
転害門は東大寺創建当時から残る建物で、国宝です。
門ですが中を通ることはできず、その横を通って東大寺境内に入りました。
転害門から歩いて10分くらいで正倉院正倉に着きます。
正倉院正倉は宮内庁の管轄で、見学は平日の10~15時のみと短く、外観を正面からしか見られません。
中の宝物は毎年秋に奈良国立博物館の正倉院展でしか公開されません。
正倉院正倉は756年、天皇のゆかりのものが東大寺に奉納され、その品々を
納める宝蔵として作られた倉で、東大寺の所有でしたが、明治以降宮内庁の管理となったようです。
宮内庁のものは国宝指定されないのだそうですが、正倉院正倉はその建物が校倉造りで価値があるため、例外で国宝指定されたそうです。
東大寺の正式名は金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)といい、聖武天皇が奈良時代に国分寺の総本山として建立した寺院です。
奈良時代には東西に七重塔が立っていたといいます。
現在の東大寺金堂は、江戸時代(1709年)に再建された3代目の大仏殿で、国宝です。
大仏殿の前に見過ごされそうになるけれど、創建当時からある八角燈籠も国宝です。
本尊は、奈良の大仏で有名な廬舎那仏。大仏殿が消失して再建されるまで野ざらしになっていた時代もあったようですが、実際に見ると手を合わせたくなりますね。
東大寺の国宝建造物はまだまだあります。
二月堂は二度の戦火は免れましたが、1667年のお水取りの最中に失火により消失し、現在の建物は1669年に再建されたものです。
お水取り、見てみたいものです。
南大門です。1199年鎌倉時代に再建されたものです。
南大門は六手先の組物で、組まれています。
あんな大きな門なのに、細い木が使われています。
釘などの金物を一切使わず、木と木を組んで作る昔の技術は本当に素晴らしいです。
東大寺と言えば鹿ですが、おみやげを見て立っていたら、後ろからいきなりバッグを引っ張られてびっくりしました。鹿の力はものすごく強くて下手をしたら転んでしまいます。
外国人観光客の鹿に対するマナーの悪さがニュースになったりしていますね。
遠くで見る分にはいいけれど、鹿は野生の生き物だから、ペットのようにお辞儀をさせたり、一緒に写真を撮るために鹿煎餅をちらつかせたりするのはどうかと思います。
何にもしてないのに被害にあうのは大迷惑です。
私の20代は旅行三昧で、京都に5回、奈良に5回訪れています。
今回の旅行では30年以上ぶりで、写真を撮ってはいけないお寺や入れない場所が増えていると聞きました。
今回のお寺ではそんな事はなかったですが、観光客が増えて、制限されるようになってしまったのは残念です。