昨年12月の奈良京都旅行の2日目はJR奈良駅から出発しました。
これは古い駅舎で、昭和9年(1934年)に作られた2代目駅舎で、平成15年(2003年)まで使用され、今は観光案内所となっています。
30年以上前に来たときにはこの駅舎だったので、懐かしいです。残っていて良かったです。
法隆寺は別名『斑鳩寺』といい、この辺りを斑鳩の里と呼んでいたと記憶しています。
この門は南大門(国宝)、1438年(室町時代)に再建されたものです。
法隆寺は古い建物が残っており、国宝だらけです。建造物だけでも19あります。
法隆寺は607年(推古15年)に聖徳太子(今は厩戸皇子)が創建と伝えられますが、その後火災に遭い再建されたという再建論もあるそうです。
それでも1400年も前のことだもの誰もハッキリとわかるわけがないのでしょうにねぇ。
この旅で一番行きたかった所です。
前にも来ているけれど、今回は下調べをするほど張り切って行きました。
中門(国宝)は、残念ながら修復中で見られません。
593~709年の飛鳥時代のものです。
中門の写真を見ていると、ボランティアガイドさんに案内をしてくださると声をかけていただきました。
ガイドさんの案内で、中門から中へ入ると五重塔と金堂がそびえ立っていました。
近すぎて全景が入りません。
五重塔(国宝)は32.5m、木造五重塔では日本最古のものだそうです。
法隆寺の五重塔は、上に行くほど面積が小さくなり、最上階は初層の約半分の大きさだそうです。
心柱は2本の檜を繋いでいます。
スカイツリーも五重塔の構造を参考にしていると聞きました。
昔の知恵には感嘆します。
法隆寺の七不思議というのがあるらしく、①相輪の鎌②蜘蛛が巣をかけない③地下に3つの伏蔵がある④法隆寺の蛙は片目がない⑤夢殿の礼盤(僧侶が座る石)が汗をかく⑥屋根から雨だれが落ちても地面に穴があかない⑦南大門の石段の下に鯛の形をした石があるというものです。
①の鎌のオブジェは1本しか残っていなかったのですが、昭和の大修理で、本来の4本の形に戻したそうです。雷除けらしいですが、法隆寺の五重塔にしかついていないそうです。
金堂(国宝)は、本尊を安置するお堂(本堂)のことです。
法隆寺の本尊は、釈迦如来(現世仏)・薬師如来(過去仏)・阿弥陀如来(未来仏)が祀られています。
大講堂(国宝)は、925年に落雷により消失しましたが、990年(平安時代)に再建されました。 僧侶の勉学の場です。
他にも、エンタシスの柱で有名な西廻廊・東廻廊、経蔵、鐘楼、綱封蔵、食堂及び細殿、三経院及び西室、東室、聖霊院、西円堂、東院鐘楼、東院伝法堂など、広すぎて見ていない国宝もありました。
玉虫逗子や百済観音など博物館になっている大宝蔵院の中を見て、西院伽藍を出ます。
東院伽藍へは両脇に子院の門が並ぶ石畳の道を行きます。
東大門(国宝・奈良時代)を抜けると、夢殿が見えてきます。
夢殿(国宝)は、東院の中心にある八角円堂です。
鎌倉時代に大修理が行われましたが、屋根の宝珠露盤は天平時代(739年)のものだそうです。
夢殿の隣接する中宮寺は創建の飛鳥時代からずっと尼寺です。
中宮寺本堂は、昭和43年に落慶されました。
ここでは、本尊の如意輪観世音菩薩(菩薩半跏像)を見ることができて幸せでした。
写真は、入口にあったポスターです。
もっと大きいのかと思っていたのですが、人くらいの大きさで、そのお顔の微笑みはとても気品があって素晴らしいものでした。
ここからは、斑鳩の里を歩いて斑鳩三塔と言われる法輪寺に向かいました。
法輪寺は、622年の創建。三重塔は、昭和19年(1944年)に焼失し、昭和50年(1975年)に再建されたので、国宝ではありません。
法起寺は、606年に岡本宮を寺に改めたものと伝えられ、岡本寺とも呼ばれています。
時代とともに荒廃し、江戸時代には三重塔を残すのみという状態でしたが、
1678年に三重塔が修復されました。
それ以降も1694年に講堂を再建されました。
三重塔(国宝)は、706年に建立されたと言われる日本最古の三重塔です。
昭和50年(1975年)に解体修理が行われました。
夕方になり猿沢池近くのホテルに向かう途中にある興福寺に寄りました。
ここは24時間通り抜けできるし、夜はライトアップされています。
国宝の五重塔です。
730年光明皇后が建立し、5度の消失にあい、1426年(室町時代)に再建されました。
11ある国宝五重塔のうち、2番目に高い52.9mあります。
猿沢池からも見えます。
ホテルは「NARA Visitor Center and Inn」に2泊しました。
食事なしですが、4人で2泊合計21600円と格安です。
もとは「奈良県猿沢イン」という名前でした。
外国人が多かったです。